ヨーロッパ古代・中世美術

デジタル環境のよさを活かして

「中世初期」は7世紀から10世紀まで

禁欲のヨーロッパ - 修道院の起源 (中公新書)

 

禁欲のヨーロッパ - 修道院の起源 (中公新書)

禁欲のヨーロッパ - 修道院の起源 (中公新書)

 

上の新書の前に
(世界美術大全集 西洋編7・「西欧初期中世の美術」編集委員/辻 佐保子 1997)より同じ著者の論考を少々

時代背景 西洋初期中世の世界 by 佐藤彰一(p13)

西ローマ帝国は、国家としては西暦476年の秋に消滅した。
後代の人は476年を西ローマ帝国終焉の年とみなす。しかし
800年のクリスマスのシャルルマーニュ(カール)の戴冠は「レノウァティオ」(革新)という言葉で理解されていた。
=政治理念の上では「帝国」の連続意識があった。

「後期古代」

それとは別に日常生活で、それ以前の時代との明らかな断絶が見られるのは、4世紀初頭である。
伝統的な寛衣 「トーガ」(ギリシア人のヒマティオン)から裁縫された「カミシア」になり、激しい動作を可能にし、裸体に対する羞恥心も生んだ。
書物の形態も、巻子本(ロトルス)から冊子本(コデックス)になり、 読書を個人的な行為とし、黙読の習慣を広め、書き言葉が優勢になった。
キリスト教公認により、カトリック教会という新たな組織が根を下ろした。
4世紀から6世紀を一括りの時代として「後期古代」という名前で理解するようになってきている。

この区分では「中世初期」は7世紀から10世紀までとなる

 ここまでで、ついで
中公新書 2014年02月刊へ

『禁欲のヨーロッパ  ― 修道院の起源』

佐藤 彰一

キリスト教倫理-歴史

内容紹介
身体を鍛錬する古代ギリシアから、法に縛られたローマ時代を経て、キリスト教の広がりとともに修道制が生まれ、修道院が誕生するまで。千年に及ぶヨーロッパ古代の思想史を「禁欲」という視点から照らし出す。

目次

第一部 古代の禁欲心性と史的系譜

第1章 古代ギリシアとローマの養生法
第2章 女性と子供の身体をめぐる支配連関
第3章 抑圧の社会的帰結
第4章 キリスト教的禁欲への道程
第5章 社会的禁欲における女性の役割

第ニ部 ポスト・ローマの修道制

第6章 東方修道制の西漸
第7章 聖域と治癒
第8章 聖マルティヌスによる宗教心性の転換
第9章 レランス修道院とローヌ修道制
第10章 ポスト・ローマの司教権力と修道院

==以下引用===========

 以下引用とぬきがき

「キリスト教神学は歴史神学といわれるが、それはその正統教義がキリストの出現にまつわる歴史に即して、その解釈神学を構成しているからに他ならない」(p147)

人間の救済者キリストの出現と受難、そして復活の
複雑な歴史の意味の説明

アタナシオス(アレクサンドリア大主教)の「アントニオス伝」執筆
(アントニオス死去356年・・370年頃ラテン語訳成立)

・・聖アントニオスの名前と結びついたエジプトの修道制
(エジプトの砂漠で禁欲生活を営んだ修道士たちの共同体から生まれた規律と思想)の西方への伝播

ポワティ司教ヒラリウスとトゥールToursのマルティヌスの
リギュジェ修道院創建=異教時代末期(4世紀後半)
ガリア農村部のキリスト教化(聖人崇拝によるキリスト教化という西方独自のパターン)

奇跡=言葉による治癒(!?)

 

マルティヌス死去(397年)後のレランス(カンヌ沖)修道院建設
・・ローヌ修道制(聖ホノラトゥス創建427年没)
「ガリア司教の養成所」

 

「ライン地方の大規模ヴィラはゲルマン人の大侵入によって破壊されたのではなく、
それ以前に所有者が逃亡したことにより(エクソダス)放棄されたのである」(ヘルマン・オバン)

・・ライン地帯のローマ系支配者(セナトール貴族)の、アルル地方など南へのエクソダス(大量離脱)

メロヴィング朝前半の6世紀末までにガリア全体で
少なくとも220の修道院建設、都市への建設は140
・・都市部のものは司教による建設(H・アツマの研究)

4世紀末から5世紀の最初期の修道院・モナステリウム(monasterium)

6世紀・・バシリカ(basillica)//サンドニ修道院など

修道士・・モナクス(monachus)→フラテール(兄弟)

両者には本質的といってよいほどの違いがある

バシリカ型修道院の盛行・・聖人崇敬という新たな神聖の民衆への定着・・元来一神教として手のキリスト教にとって原理的に矛盾した現象(p244)

人と神との中間に位置する聖人の観念は、ユダヤ教の天使の観念を借りたもののようである。

6~6世紀には、多くの司教座において初期の殉教者を、伝承と歴史の闇の中から掘り起こし。、立派な墓廟をしつらえて崇敬するということが盛んに行われた

 7世紀のガリア修道制の再建・・聖コロンバヌス
都市近郊を避け、世俗の権力や司教に代表される在俗の聖職者から遠く離れたブルゴーニュの山中に修道院建設

 

 

修道院は7世紀からは6世紀までとは対照的に都市から離れた田園的環境に建設されるようになる

→修道院が荘園領主としての衣をまとう

領主経済の果実で、豪華な写本製作豊かな財源提供

 

感想ですが: 何かそこらへんはチガウような気もする